人と関わるなかで、こんなふうに感じたことはありませんか。
- 相手の頼みを断れず、無理をしてしまった
- 距離を詰められすぎて、少し息苦しくなった
- 本当は助けてほしいのに、「大丈夫」と言ってしまった
こうした小さな“もやもや”の背景には、バウンダリー(心理的境界線)のあいまいさが関係していることがあります。
バウンダリーとは、自分と他者とのあいだにある、見えない“心の領域”のこと。
どこまでが「わたし」で、どこからが「あなた」なのか。その境界がほどよく保たれていると、私たちは無理をしすぎず、相手のことも尊重しながら関わることができます。
バウンダリーは、自分を守ると同時に、相手を大切にするための力でもあります。
日本の文化には、「空気を読む」「察する」「言わずもがな」といった、言葉にしすぎないコミュニケーションの美しさがあります。それは、調和を大切にする日本ならではの感性であり、多くの場面で、人と人との関係をなめらかにつないできました。
一方で、そのやさしさゆえに、バウンダリーがあいまいになりやすい側面もあります。
「相手に悪いから…」
「わざわざ言わなくても、分かってもらえるはず…」
そんな思いやりが、いつの間にか自分をすり減らしてしまうことも、決して珍しいことではありません。
欧米の文化では、自分の考えや希望を言葉にして伝えることが、誠実さや尊重の表れとされることが多くあります。アサーティブに自己表現することは、相手との境界を明確にし、結果として関係を健やかに保つ手段でもあります。
この違いは、言語の構造や宗教観、家族観など、文化的な背景の違いとも深く関わっています。
そのため、留学や異文化環境では、「距離感が近すぎる」「冷たく感じる」など、バウンダリーの感覚のズレが起こることも自然なことです。
自分にこんな問いを向けてみてください。
- 私は、どんなときに心の距離が苦しくなるのだろう
- どこまでが「わたし」で、どこからが「あなた」なのだろう
- 「わたしを大切にする」とは、今の私にとってどんなことだろう
バウンダリーは、一度決めたら終わり、というものではありません。
人や環境、ライフステージによって、揺れたり、近づいたりしながら、何度でも調整していいものです。
「わたし」と「あなた」のあいだに、ほどよい距離を見つけていくこと。
それは、関係を壊さないためではなく、関係を大切に育てていくための、静かな知恵なのだと思います。