コラム

バウンダリーと対話【「わたし」と「あなた」のあいだ Vol.3】

人との関係の中で生まれる違和感に気づき、「わたし」と「あなた」のあいだにあるバウンダリー(心の境界)を意識してみる。

Vol.1、Vol.2では、そんな視点から、人との距離や関わり方を見つめてきました。その中で、「アサーション」という言葉に、ふと触れた方もいらっしゃるかもしれません。では、自分の気持ちに気づき、境界を意識できるようになったその先で、私たちはどのように人と関わっていけばよいのでしょうか。

この回では、これまで触れてきたアサーションを、あらためて「関わり方の姿勢」として、少し丁寧に見ていきたいと思います。

アサーション(assertion)とは、自分の気持ちや考えを、相手を尊重しながら、正直に伝えるコミュニケーションの姿勢です。それは、強く主張することでも、相手を説得することでもありません。また、我慢することや、空気を飲み込むこととも違います。

アサーションの中心にあるのは、「わたしはこう感じている」という、自分を主語にした表現です。

「あなたが悪い」ではなく、「わたしはこう感じた」。

この小さな言葉の違いは、関係性の中に生まれる緊張や防衛を、やわらかくほどいていきます。
アサーションは、バウンダリーがあってこそ、健やかに成り立ちます。

どこまでが「わたし」で、どこからが「あなた」なのか。

その境界が意識できていると、相手の感情を必要以上に背負い込まず、自分の気持ちを置き去りにせずに済みます。

たとえば、相手が不機嫌でいても、「それは相手の感情」と区別できる。
自分が疲れていることを、「感じていい」と認められる。

そうした内側の整理があるからこそ、言葉は攻撃にも、自己犠牲にもならず、対話へと変わっていきます。

バウンダリーとは、関係を切るための線ではなく、関係を続けるための土台なのだと思います。

日本には、「空気を読む」「察する」「言わずもがな」といった、言葉にしすぎないコミュニケーションの美しさがあります。

そのやさしさが、多くの場面で人と人をなめらかにつないできたことも、確かです。

一方で、そのやさしさゆえに、本音を飲み込み、境界があいまいになり、自分の気持ちが分からなくなってしまうこともあります。

アサーションは、この日本的な感性を否定するものではありません。

むしろ、そのやさしさを土台にしながら、「自分を大切にする言葉」を、少しずつ取り戻していくための視点です。

言わなくても分かる、の前に、自分自身が「何を感じているのか」を知ること。

そこから、関わりは静かに変わっていきます。

アサーティブな関わりとは、「うまく伝える」ことではありません。

言葉に詰まってもいい。
少し時間がかかってもいい。

大切なのは、自分の内側で起きていることに気づき、それを、無理のない形で差し出してみることです。

対話とは、相手を変えるためのものではなく、関係のあいだに、安心を置く行為なのだと思います。

その安心があるからこそ、人はまた、話してみようと思えるのです。

バウンダリーを意識し、アサーションという姿勢で関わること。

それは、自分だけを守るためでも、相手に合わせるためでもありません。

「わたしも大切」
「あなたも大切」

その両方を、同時に置いてみる試みです。

関係は、一度整えたら終わりではなく、人や環境の変化に応じて、何度でも揺れ、調整されていきます。だからこそ、完璧を目指す必要はありません。ときどき立ち止まり、「いまの距離感はどうだろう」と問い直してみる。

その小さな意識が、「わたし」と「あなた」のあいだに、息のしやすい空間を育てていくのだと思います。

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