ふと気づくと、少し表情がゆるんでいる。
話している声が、いつもより軽やかに聞こえる。
終わったあと、どこか満たされた感じが、静かに残っている。
そんな瞬間はありませんか。
特別な成果を出したわけでも、何かを成し遂げたわけでもないのに、心の中に、穏やかな手応えが残っている。それは、その人の強みが、自然に使われている状態なのかもしれません。
強みというと、
「得意なこと」
「人より優れているところ」
そんなイメージを持たれることがあります。
けれど、ここでいう強みは、もっと日常に近く、もっと静かなものです。
・気づいたら、自然とやっていること
・無理なく続いている関わり方
・あとから振り返ったときに、「自分らしかった」と感じる時間
強みが発揮されているとき、人は、自分を大きく見せようとも、小さく守ろうともしていません。
ただ、その場に合ったかたちで、自分の持っている力が、ほどよく外に流れている。
そんな状態です。
強みが発揮されているとき、人は、どこか夢中になっています。
楽しいと感じていたり、いつのまにか時間を忘れていたり。
声のトーンが自然と上がり、話し方にリズムが生まれることもあります。
その人がそこにいるだけで、場の空気が、少し明るくなる。
強みは、内側の感覚としてだけでなく、周囲とのあいだにも、静かに伝わっていきます。
そこには、無理につくった前向きさはありません。
楽しさや興味が、その人のペースで、自然に広がっている。
そんな状態に近いのかもしれません。
では、なぜこの状態が、「力」になるのでしょうか。
それは、強みが発揮されているとき、その人が大切にしている価値が、行動として表れているからです。
「こうしたい」
「こう在りたい」
という内側の基準と、実際のふるまいが、自然に合致している。
この一致があるとき、人は、自分の感覚を頼りに、前に進むことができます。
「いまの自分で、ここにいていい」
そんな感覚が、足元を静かに支えてくれるからです。
同じ強みを持っていても、その表れ方は、人それぞれ異なります。
たとえば、「親切さ」が高い人でも、積極的に声をかける人もいれば、そっと見守るかたちで力を発揮する人もいます。
「向学心」が高い人も、本を読み続ける人もいれば、体験を通して学びを深める人もいる。
大切なのは、どの強みを持っているかではなく、その人らしいかたちで、どう表れているか。
強みの表れ方には、正解も、ひとつの型もありません。
それは、一人ひとりが持っている個性のグラデーションであり、私たちが皆、ユニークな存在であることの確かな裏付けでもあります。
だからこそ、誰かの強みをそのまま真似しなくていいし、「こうでなければならない」と自分を当てはめる必要もありません。
強みは、比べるためのものではなく、その人らしい在り方を照らすためのもの。
そう考えると、強みを見るということは、人を理解し、尊重する視点そのものなのかもしれません。
日々の中には、うまく言葉にしていなくても、「あ、この感じだな」と思える瞬間があります。
気づいたら夢中になっていた時間。
あとから、静かな満足感が残っていた瞬間。
そのときに起きているのは、「自分の力が、自然に表れている状態」なのかもしれません。
強みを見る視点は、どんな在り方で、どんな方向へ進んでいくのかを、自分の感覚を頼りに見つめていくための土台になります。